ご無沙汰しております。
さて、今回、サッカーの日本代表監督にアギーレ氏が就任することが決まりました。
すなおに喜びたい。4年前、誰もそっぽを向いていたことを考えると、いいことだと思う。
さて、この監督決定に対して、文句を言う方が大勢いられると思うが、日本はそんなに魅力的(地域的に)ではないことは多くの欧州出身者コーチ、南米出身者コーチが言っていることだ。
島流しってね。
それでも、来たいとという琴線に引っかかるのは、他国とは違い、結果が出なければクビというのがない。4年という期間はきっちりと何とかしてくれるという協会への信頼がある。
目の肥えた、サッカーファンからは物足りないという意見は多くある。結果がでなければ監督を変えろというが、いまの日本でそれをすると、かつての社会人リーグよりも悪化するという持論を持っている。
さて、ブラジルでの結果は、散々ものだった。これは8年前のジーコの時と同じという人がいる。
しかし、私が注目したのは、長友、内田、長谷部、吉田の涙だ。8年前のドイツでは中田以外それがなかった。
この違いだ。ようは、W杯は単なる、出場することに意義があるから、W杯は勝たなければ意味がない、というくやしさが、全面に出てきたこと。その変化がある。だから、8年前とは違ってきている、そして、日本は間違いなく成長しているというあかしでもある。
空港でのサポーターたちの振る舞いに、憤慨する生粋のファン、サポーターはいるだろう。しかし、ここは日本であり、南米や欧州ではない。日本のサッカーの歴史は100年以上のものを持っているが、試合に対する思いは、雲泥の差がある。
日本の場合は、勝負事というよりは、どこか精神修養の一環でスポーツは扱われてた。だが、欧州や南米は違う。そこが根本的に違うのだ。
フェアプレーに徹し、勝負よりも選手個々の頑張りに評価を与える。これが日本でもある。
私の独断と偏見から言わせてもらえば、正々堂々とプレーし、フェアプレーに徹し、なおかつ、その強さを身に着けること。ずるがしこさを身につけよとは言わない。ずるがしこさ、よりも宮本武蔵のように精神的な強靭さと肉体的強靭さを併せ持つことこそが、日本の目指すサッカーではないのかと思うのだ。
南米、欧州のマリーシアではないずる賢さ、狡猾さ、抜け目のなさを磨けばいいのだと思う。
日本は体格的に欧州、南米に対しては不利に働くだろう。しかし、それを逆手にとる。つまり、己を知り敵を知る、身の程をわきまえる。
正々堂々とは戦うが、本当に正面切ってではなく、様々な技を繰り出して、相手をほんろうさせる。そういうサッカーを目指すべきだと思う。すばっしっこさはカウンターではなくゴール前でのハンターであるべき。理想は岡崎みたいに泥臭く、ゴールを決めるエースFWの育成だ。そして、変幻自在にフォーメイションを変えることができる。
つまり、90分の間に最低でも6つくらいフォーメイションが変更できるくらいのチームが理想だと思う。最初は3-4-2-1→4-4-2→5-3-2→4-3-2-1とアメーバーのように変化してもチームの質が崩れない応用力のあるチーム。そうしたチームを作り上げていく。日本ならではの編成でゴールを積み重ねていく。あいてに絞らせないサッカーをこれからは目指して行ってもいいのではないだろうか。
そのためにはJリーグ、ユーティリティな選手たちをもっと育成していくべきではないのかと思うのだ。なでしこジャパンのように。